だいぶ昔の話、平安時代の始めには、重要な急ぎの連絡手段の一つであった「のろし」をあげた施設「とぶひや」烽家が関東地方にも配置されていたようです。 北関東の鬼怒川沿いの高台にもその一つがあったとの話を聞きつけ、史跡好きの私は早速訪ねてみました。
実際に行ってみると、当たり前と言えば当たり前ですが、その場所近くの小さな資料館に説明資料が展示されているだけで、現物の痕跡はなにもありませんした。
それでも、当時、平安時代初期に思いを馳せることが出来、非日常的な時間を過ごせた気がして満足でした。
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実際に足を運ぶこと、これってどんな小さなことでも感激具合が全然違いますね。
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現在のこの高台には、梅の木がたくさん有り、良いタイミングで訪れることが出来たようです。
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