ルパン三世の作家のモンキーパンチさんが亡くなった。肺炎のため81歳でした。
ルパンン三世と私が初めて会ったのは、高校1年生の夏休みでした。
あれから、お会いしたり、また間が空いたり、そしてまたお会いしたりと何回も繰り返し、早いもので半世紀の歳月を過ぎています。
今回はモンキーパンチさんの分身、「ルパン三世」の思いでを書きます。
1.ルパン三世との出会い
1968年8月、高校生1年の私は、従兄弟の大学生とその女友達たちと4人で従兄弟の車である地方都市の花火大会に出かけました。
少し早く着いてしまったので喫茶店に入って時間をつぶすことにしました。
しかし当時の県立高校は喫茶店に入ることは禁止されていたのです。たった50年前は純粋な喫茶店でさえも、不良になるから入店禁止だったのですね。今考えると信じられないですよね。
話は変な方向にいってしまいまいたが、
結論です。そのときの喫茶店が、ルパン三世との初出会いでした。
普通の週刊漫画サイズでしたが、ルパン三世だけが載っている単独掲載本で今まで見たこともないパターンの漫画でした。きっと、時代の先端を走っていた「ヌーベル(新しい)・コミック」だったのでしょうか。
その喫茶店では結局2時間ほど、コカ・コーラを飲みながら花火の始まるまでの時間をつぶしていました。
その間、アメリカの風刺漫画のような独特の軽いタッチと峰不二子のセクシーぶりを4人で興奮しながら語りあっていた姿だけが今も記憶にのこっています。しかし、残念ながらそのとき読んだルパン三世のストーリーは全く覚えていません。
半世紀もまえのことなのに、モンキーパンチさんの悲報がきっかけで、当時の喫茶店の中の情景がフラッシュバックのように鮮明に思い出すことが出来ました。
2.社会的に受け入れられなかった時代
子供の頃に読んだことのある怪盗ルパンの孫という面白い設定の、ルパン三世が主役で、セクシーな峰不二子、次元、五右エ門そして銭形警部が、当時の我々が持っていた感性とは異なる暴れ方であばれまわりそれが痛快でした。
そしてそれに加え峰不二子の直接的なお色気も当時としては強烈で楽しみの一つでした。
しかし、どうも当時のきっかりとした社会しか理解しようとしていなかった多くの大人たちは、ルパン三世は野放しにしたくないコミックだったのではないでしょうか。
ですから、高校へルパン三世の本を持ち込むことなんて全くできませんでした。
3.たくましく成長したルパン三世
その後何年たったか記憶にありませんが、テレビアニメの成功で茶の間に正式に受け入れられて、現在では日本を代表するアニメの一つに成長したわけですね。
人間にとって半世紀という時間は社会から嫌われていたものを受け入れさせ、生み出されたものがたくましく成長するのに必要かつぎりぎり十分な時間なのでしょうか。
4.さいごに
ありがとうございました、モンキーパンチさん。
心からご冥福をお祈り申しあげます。