新型コロナウイルスの違う意味での心配

新型コロナウイルス 感染者は2000人超 死者は56人(20/01/26)との報道。だいぶ拡大していますね。そして、武漢の外国人退避の動きもでていますね。

新型コロナウイルスについての中国の武漢での映像がニュースで流されるたびに、私は「SARS(サーズ)」が思い出されます。

 

今回の記事は、新型コロナウイルスの報道から17年ほど前に中国で仕事をしているとき「SARS(サーズ)」の恐怖を経験、私なりに心配していることの独り言です。

参考にしていただければ幸いです。

 

「SARS(サーズ)」

みなさんは「SARS(サーズ)」を覚えていますか、新型ウイルスの「SARSコロナウイルス」を原因とする新しく発見された感染症で、38℃以上の急な発熱、咳、息切れ、呼吸困難などインフルエンザのような症状がみられました。中国で最初の症例が見つかりその後大規模な拡大となりました。そして2003年には世界中で大きな問題となりましたよね。

このころ私は、特殊車両の販売路拡大のために、中国、特に重慶を中心に営業開拓活動をしていました。そんな時に「SARS(サーズ)」が中国で拡大していたのです。

 

当時の中国は国の政策だったのでしょうか、かん口令が出ていたようで一般の市民や我々外国人は「SARS(サーズ)」が拡大していることは知らないでいました。

 

驚いたこと

そのとき、日本に帰り1か月後に再び重慶に戻った時に、驚いたことがありました。

それは、当時はかなり生ごみなどが散らかって不衛生で汚かった重慶の街中が、とても綺麗になっていたのです。そして、おそらく数千人はいたであろう「棒棒軍」(※ もう少し下のところで説明を加えています)の人たちは一人も見ることができなくなっていたのです。

たった1か月ほどで 重慶の都市圏だけでも1500万人規模の巨大都市が変わってしまったのですよ。さすが独裁的な国でスゴイというより怖い感覚でしたよね。

 

「棒棒軍とは」

当時の重慶名物の一つに「棒棒軍」と呼ばれていた人たちがいました。天秤棒で荷物を担ぎ、超低料金で徒歩で荷物を運ぶ運び屋さんの名前です。

農村部から大都市重慶に出稼ぎに来ている聞いていましたが、身なりは汚く、血色も悪く、繁華街の道ばたでいつも座り込んでいました。我々日本人からみると物乞いにしか見えませんでした。中国がとても大きな矛盾を抱え込んでいる事例の一つようだなと感じていました。

 

当時の重慶での噂?

きっと、「SARS(サーズ)」が拡大した時に、棒棒軍の人たちは自分の故郷に帰ったためにいなくなったのでしょう。と思いたかったのですが、中国人の知り合いの人たちの間では、浮浪者的な人達や、「SARS(サーズ)」感染者は、処分されてしまった。と囁かれ、街中でデマ?が流れていました。

その真相は分かりませんでしたが、浮浪者的な人達や、一般の人でも感染兆候が出たら、処分されてしまうのではないか、場合によっては外人の我々でも・・・されてしまうのではと恐怖心でビクビクしていました。

 

たった17年ほど前の中国の話ですが、平和で清潔な日本に住んでいると想像することさえ出来ないとは思いますが、当時の中国は日本とはだいぶ異なる世界だったなと感じるわけです。

 

やっぱり心配

今回の新型コロナウイルスの拡大防止や撲滅のために、中国も国を挙げて世界中に情報を開示して努力しているようですが、その一方で、「中国湖北武漢市で新型コロナウイルスによる肺炎ん発症者が出始めた昨年12月、当局が肺炎について口外しないようにかん口令を敷いてことが分かった。中国誌「中国新聞週間」(電子版)が医者の証言として26日までに報じた。」との報道がありました。

やっぱり心配になってしまうのは私だけでしょうか。という独り言です。

ABOUTこの記事をかいた人

こんにちは。 私は、孫たちから「なお父さん」と呼ばれている関東の地方都市住人です。 『なお父さんのblog65』:65歳からより豊かに生きるヒント (日々の楽しみ、お金、生活の知恵、親のケア、独り言、ブログ運営)を発信していきます。  それでは よろしくお願いします。